まえがき

まえがき

私がこの本を書きはじめたのは、モロッコの洞窟の中だ。大西洋に面する洞窟には人がおらず、ネットも通じない孤独な場所だった。私はここで、12年間過ごしたサハラ砂漠の経験を記録しようと思い立った。

父がフランス人、母が日本人の私は、27歳でサハラ砂漠と運命的な出会いをした。満点の星空の下で、永遠に広がる砂丘にナツメヤシの影が差した瞬間、砂漠には私がずっと追い求めてきたものがあると確信した。バブル期の東京に住んでいた私は、その瞬間から迷うことなくサハラにすべてを捧げた。ニジェールで男性しかいない塩キャラバンと同行し、トゥアレグ族の遊牧民と出会った。

武士道のような掟を持つトゥアレグ族は自らからを「イナジェレン=自由な人々」と自負していた。彼らが話すタマシェク語には「自由」という言葉はない。それは1000年以上前から続く遊牧民の自給自足の暮らし自体が自由であり、改めて「自由」を言葉にする必要がないからなのではないだろうか。私はそんな生き方に惹かれ、ニジェール、マリ、アルジェリアを行き来する彼らと共に恐れを知らず旅をし、車やラクダで国境を何度も越え、壮大な砂漠を横断した。キャラバン商人、ラクダ使い、反乱の戦士や密航業者。過酷な砂漠に生き残る彼らは、忍耐力、勇気と節制を教えてくれた。

自分のラクダを購入し、ソーラーパネルを担ぎ、塩キャラバンのドキュメンタリー映画の撮影などを経て、2006年にアルジェリアで、ラクダ使いの仕事を支える「ラクダ・オーナー・プラン」を企画すると、大勢の日本人がスポンサーになって、ラクダ乗りキャラバンに参加してくれた。

このように、日本とサハラの文化的な架け橋としての活動が軌道に乗りかけた私は、1998年から2010年までトゥアレグと一緒に過ごした旅についての本を日本語で執筆しはじめた。

しかし翌年、3・11が起き、本の内容は核やテロ問題の色に染まってしまった。パリから花見のために日本に帰国した私は、この大震災に居合わせ、恐ろしい波に流されるように福島原発事故の取材をすることになった。

こうしてジャーナリストとしての生活がはじまり、サハラ砂漠のウラン鉱山の実態も知ることになる。放射能によってどんどん壊されていく自然のなかで生きることは、日本とサハラの新たな結び目となった。私は現地での取材は優先になり、本の執筆は10年も遅らせた。

両方の世界を取材し続けると、トゥアレグ族の独立運動が日本の反原発運動と重なり、やがてひとつの「自由への戦い」になっていることが見えてきた。

「自由」とは、私が長年見てきた塩キャラバンの暮らしと同様に、人間と自然がひとつの輪になり、自治をして生きることなのではないだろうか。

「トゥアレグ、自由への帰路」

サイン会: 3/16 日 
https://sahara-eliki.org/2022/02/27/出版記念パーティ/

出版:
https://www.eastpress.co.jp/goods/detail/9784781620671

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