タッシリの詩
[07年3月4日-10日の旅]

タッシリ・ナジェールの東国へ時間を遡る旅。 8日間にわたり、標高800mに広がる岩砂漠に満たされた妙な壁画は、エル・ハジの思いで蘇った・・・
前半8日間のキャラバンツアーが終わってオアシスで一泊し、食料などを買い込んだ後、30キロ東に位置するアクバ・タフィラレットの麓に、四駆が私たちをおいて走り去った。
灰色の石やかさかさの木のモノクロームの景色にキャンプが立つ。ロバのために集めた餌の緑が、目に当たるくらい寂しいところだった。でも、焚き火に寄り添い、これから同行するトゥアレグのチームに紹介されて、皆さんの落ち着いた様子を真似しながら、ゆっくりゆっくりとこれからの旅に馴染みはじめる。同行するのは、フランス人のシリエル、日本人のカオ、ロバ使いのババとイヘラン、砂漠のガイドハマニ、台地のガイドエル・ハジ、そしてロバ7頭。
朝早くご飯を食べ、さっそくロバに荷物を積んだ。タフィラレットへの登頂は、山・盆地・砂の渓谷を通って3段階で行う。石に引かれた道筋を辿って、登りやすいところあり、また時には崩れ落ちた御影石を両手を使って乗り越えなければならないところもある。私はロバのことを気にかけながら、ラクダ飼いの棒にもたれ、しなやかに難所を乗り越える70歳近いエル・ハジの姿に感心する。このおじいさんが、エアークッションのナイキを履いていたことは意外だった。
タンアゼルラフでひと休み。崖の上から、とても深い谷底に乾いたウエッド(氾濫地)が見える。エル・ハジが、昔リビアからやってきたラクダがここに迷い込んで、谷間に落ちて死んだ後ここは「黒いラクダの峠」と名づけられた、と説明した。
今でも台地を上り下りする動物の事故は珍しくない。そこでロバの頭数を少なくして、大げさな荷物を積んでしまう旅行社の責任も大きいと聞いた。事故の多い台地では、雇われるトゥアレグのスタッフも非常に心配性になっているせいで、ババさんみたいに岩などに引っかからないフォルクスワーゲンの作業用つなぎを着るのは普通のことらしい。
4時間の上り下りの後、ようやく台地の上に辿り着いた。ハマニは楽しそうにバッグからサンドイッチを5つ取り出した。途中からもっと通りやすいルートを通ったロバとロバ使いたちはあとで合流する。周りに散らかったチベットのマニのように積み重ねられた石の山を見つめながら、お弁当を食べる。
西には、先週キャンプしたアドメル砂漠の金色い砂丘が地平線にぼんやりと見える。東は永遠に広がるひらた〜い台地だ。
私たちは、千の足跡が描いた細い道筋に沿って進む。タムリットのウエッドの入り口は、映画「スターウォーズ」にでてきそうな特大の砂岩柱がそそり立ち、私たちはまるで監視されているようだ。
太陽に焼かれたこの鉱物の世界に、思いがけない緑が発生する。ここには紫の花、あちらには生き生きするナツメヤシとブルーな雨水溜まり。このとても乾いた環境で、植物や動物がどれほどの力で生き延びていくのだろう。タッシリ台地はアドメル砂丘よりも「サバク」って感じがする。この固くて黒い岩が一体何を生み出すのか最初は想像もつかない。
岩窟に沿った細長い通路に、ロバ使いがキャンプの準備していた。この場所はイングファという。お茶を飲み、休んでからガイドたちと散歩に出かけた。円形闘技場のように広がる広場と谷を次々と通り、タンズメイテックの壁画にたどり着いた。
岩窟の内側にしゃがんで、皆はエル・ハジの説明を一生懸命聞いた…「シュッフ!見ろ!山ヤギだ!」「ほら!ここは女だ!踊っているのは見える?…セ・ぼー・サ・マダム! なんて綺麗だ、マダム!」
確かに、岩に描かれた不思議な人物と動物がいくつか見え、何人かが入れ墨とアフリカ風な腰布を着て、明らかに踊っているようだったが、全体的な意味はまったく分からない。

一番下にカバのような動物が山ヤギと向き合っている。退色の差が目に見えて分かるので、年を経て同じ壁に重ね描かれた絵と思うしかなかったが、エル・ハジはそれ以上何も説明せずに頭を振って否定するだけだった。違うんだ!
『「円頭」時代の人物は人体の構造や文化的な特徴(刺青、ボディペインティング)から、黒人だと仮 定されます。
この遊牧民は、狩猟及び収穫の場でもあったタッシリ台地で、広大な範囲をテリトリーとして暮らしていました。』
壁画がいまだに謎なのは良く知っていたが、せっかくはじめて台地のガイドが同行することになったのだから、フランス語でなくても、トゥアレグ語でガイドらしい説明が欲しかったが、エル・ハジは明らかにそういうガイドではなかった。まあ、言ってしまえば、彼は多くのトゥアレグ同様に、説明なんかどうでもよいのだった。
そのまま、タムリットのキャニオンへ向かった。深さ700メートルほどの崖の底にまた乾いた砂っぽい氾濫地が見えた。
大昔の緑のサハラの物語でも語ってもらおうかな、と思った私はエル・ハジに、「何億年か前には、この場で豊かな川が流れていたよね」と言ってみた。すると、彼は「カラカラ、アマンバタン!」と静かに言い返した。
この「違う、水なんてなかった」に、私はどうしても納得がいかなかった。
「だって、キャニオンなんだから水による侵食でできたでしょう!」
「カラカラ。ここで川なんて流れたことない」
「エル・ハジ!昔あなたがここにいなかったからそんなことは言えないでしょう!」
「あなただっていなかったんだから、その話をやめろ」とハマニが言い返した。しかし、諦めが悪い私が、
「あなたのガイドがでたらめを言うなら、あなたに言わせてもらう…川ではない場合、一体なにが崖を掘ったんだと思い
ますか」とハマニに訊いた。すると、ハマニは一気に叫んだ。
「神様だよ!!!」 私たちの怒りは台地の果てまでキャニオンに反響した。
(「くそ外人め!」「無知の人は学校に戻ればいい!」)そして一気に沈黙に落ち込んだ。
先頭はハマニとエル・ハジ、後ろは外人組がタムリットのウエッドにある樹齢数千年の立派なイトスギへ向かった。そこで各組が一本の下に座り、木のねじれた枝を長く見つめた。イトスギの源に関しては、意見違いがないから楽だ。
数千年を経て乾燥した環境に徐々に適応するために、イトスギの枝が引き上がったように見える。地球で最も高樹齢であるイトスギは、3〜4千年をかけてこの土地に存在した動物や人間を目撃し、厳しい環境と孤立に耐えて、受精なしで生殖できるようになったという。

ウエッドに沿って歩くと小川が流れて、イトスギの葉が水面に綺麗に映る。イトスギの他、アカシアのとげとげした姿が我々にもっと近い時代を想像させる。30年前まで台地で遊牧したトゥアレグは頻繁に薪不足に陥ったのに、「タルット」と呼ばれるこのイトスギには見事に手をつけなかったね。
『タルットの大きさは驚異:高さ22m、幹の円周は11m。
タッシリ台地にしか見かけないこのイトスギはおよそ230本が残っているようです。』
沈む日光が、砂岩の柱に最後の輝きを与えた。キャンプにゆっくりと戻ると、コックのハミッドがすでに岩の隙間に上手に整えたキッチンの中で忙しく鍋の煮込みをしていて、エハランは焚火の用意をしていた。さっき通った広場に戻りたくなって、一人で出かけた。岩の上に登り、真っ赤なタッシリ台地が徐々に優しい色合いに変わっていくまでじっと見つめると、心が和やかになる。

岩の上で不意に見つけた薪の束を両腕に抱えて、青い夕暮れの下のキャンプに戻った。きっと観光ガイドの誰かが次の時までそこに薪を隠したに違いない。しかし、こんなでっかい薪はひょっとしたら高齢のイトスギではないかと恐れ、見せるとや はりそうだった。悲しげに薪をエル・ハジに渡すと、彼が「イトスギの枯れ木よ!よく見つけてくれたね!」と誉めてくれた。
枯れ木かどうか分からなかったが、もしも誰かがルールを破ってイトスギを切ったとしても、もう手遅れだった。日本の木造家 屋を思い出させるとてもいい香りのするイトスギの焚火のまわりで、皆は仲直りした。こんな砂漠の中で日本を懐かしく感じ るのは不思議だった。
星空の下で一泊して、翌日にセファールまで移動した。近くの円形の広場で、小さな墓を見た。「これはイングファという遊牧 民のお墓だ」エル・ハジが言った。イングファさんのことはそれ以外分からないけれど、この素敵な地が彼の名にされたのは、 きっと偉い人だったからだろう。
先に進むと、あちこち花の灌木に沿ったもう一つの広場に着いた。そこでエル・ハジが一瞬止まり、手で空間を掃きながら 「ここで僕のキャンプがよくイルジャンを祝っていたところだよ!」と静かに言ってからまた歩き出した。私はその言葉に一瞬 心が止まった。――昔、インディゴブルーの上質な服装とターバンを身に付けた男がラクダに乗って雄叫び、太鼓を叩く美女 たちの輪の周りを、リズムに合わせてラクダで躍り歩いた――私は、その最も立派なトゥアレグの祭り「イルジャン」をこの岩 の円形劇場で想像した…。

エル・ハジは6、70年前この台地で生まれ、ケル・メダクというトゥアレグの部族に属した。砂岩のように顔と手に皴を刻ん だ彼は、今はもう観光客や数人の密入国者しかいない台地の洞窟で、かつてイルジャンの祭りや遊牧生活の最高な時を 過ごしたことが分かった。私はこの台地は2度目だったが、ケル・メダクという台地のトゥアレグの存在さえ知らず、ここには ずっと昔からもう誰も住んでいないと思っていた。ユネスコ世界遺産に登録されているタッシリ台地は、やはりその他の宝 物を隠している気がした。
1973年ごろの激しい干ばつによって遊牧民が台地から下りてジャネットに定住するようになるまで、エル・ハジはずっと、台地の上でラクダを飼いキャンプと共に牧草地に沿って転々と遊牧生活を送ってきた。エル・ハジは、壁画のガイドというよりも、3千年前この土地に暮らしていた牛の牧師と同じような生活を最後に繰り返した「世界遺産」そのものだった。彼の存在だけで、タッシリ台地が生き生きと蘇った。
朝の穏やかな光の下で歩を進める。エル・ハジにとってこの辺りは馴染み深くて、目もきらきらしている。高さ10〜20メートルの砂岩柱に囲まれたところで、彼は白いヴェールを手にして右から左へ体を揺らし、そよ風のようにささやかな歌を歌ってくれた。彼の柔らかい声は今立っているイナレウェンという場を祈っていた。イナレウェンはトゥアレグの結婚式では、女性たちが花嫁を誉めそやす唱歌のことである。皆はそれを気持ちよく聞いた。
ジェブリンは50年代の壁画研究者でもあるフランス考古学者アンリ・ロットを、タッシリ台地の迷路に導き、今でもトゥアレグ人のあいだで伝説となった名前である。 台地に長らく滞在したアンリ・ロットの方法について、実際フランスで色々な議論があったが、彼についてエル・ハジは「ロットはいい人だった。あの時、彼が我々のラクダを何十頭か借りて、とてもいいお金になったよ」と明るく言っただけだ。 近辺の洞窟には、壁画が点在している。それらをガイドしてくれたエル・ハジは、相変わらずフランス語とアラブ語とトゥアレグ語を混ぜて言った。「シュッフ・ラ・ヴァッシュ!」、牛を見ろ! そして、そのとなりに繊細に描かれた人物のかたちについて、巨大な男根とセックスなのか腰布のぶら下げなのか皆が一生懸命考えているのに、エル・ハジは陽気に「裸!裸!」と繰り返すだけだった。
『セファールとジャバレンの岩森に入るのは、いわば寺社仏閣にお参りすることと同様です。絵師たちがこのフレスコ画を描くためにこのような妙なところを選んだのは、偶然ではありません。最も神秘的な絵はタッシリの最も高い地に位置する岩森に描かれています。昔の人々にとっては、その地は魂が生きている聖なる地でした。この先史時代の聖域では、祖先の儀式が祝われました。』

インイティネンとテタラス・ネリアスの壁画を通り過ぎてから4時間後、やっとセファールの岩森の入り口に辿り着いた。岩の森が目の前に近づくと息が止まっちゃう。だが、入ってから意外なものに驚かされた…
派手なブルーのテントが岩の隙間から現れて、花の棘にピンクのトイレットペーパーが揺れている…。あちこち我々現代人のゴミが散乱していた。確かにここはタッシリ台地のキャンプ場だ。車で入って来られないせいなのか、観光客がゴミを持ち帰らず燃やさず散らかして、あまりに汚くなったので、タッシリ国立公園がこのキャンプ場以外でのキャンプを禁止した。これ<からグーリンのゴミ袋が設置されるかもしれないと聞いた。私たちはいつも真っ自然の中でキャンプしていたので、これにはショックを受けた。
しかし、岩の裏に隠れるところが山ほどあり、汚いところを避けて皆で楽しく昼ご飯を食べた。そして、「セファール・セッタファン」、黒いセファールへ向かった。町の通りを歩くみたいにきちんと列になって砂道に沿ってエル・ハジを追って歩いた。ここで迷ったら大変なことになる!
壁画があちこちの岩壁に現れる。石造りの囲いだけが「立ち入り禁止」を暗示する。看板も案内所もない原始時代そのままの状態で残された遺産は、世界でも非常に珍しいことである。ここでは、壁画や世界遺産に夢中ではなくても、生き生きする。台地の地質を見るだけで、人間と世界の原始を伝えてくるからだ。
私は壁画のことは全く詳しくなかったが、ニジェールでボロロ族のキャンプに滞在し、雨季後に祝う「男性の美式」を見たことがあったので、アフリカで最も純粋な遊牧生活を送っているコブ牛を飼うボロロ族は、6千年前に洞窟に牧畜や儀式の絵を描いたサハラの牧童たちの祖先であるという定説に興味を持った。その定説を解明しようとしたマリの最も有名な作家・哲学者アマデゥ・ハンパテ・バーが、タッシリ台地に描かれた儀式はロトリという入会儀式だと明言した。
『牛時代の人々にとって、家畜は神話の源でした。牛はただの動物ではなく、親戚のように思われていた。現在でも、プル族(ボロロ族)が各牛に名前を付け、ミルクだけ飲み、肉を食べたがらないのです。牧畜には十分な見習い勉強が必要で、沢山の儀式も知らなくてはなりません。動物の世界との繋がりが非常に強いです。シラティギは動物の言葉を含み、その動物と宇宙の縁を伝える儀式です。』

セファールの「黒い女性」、「仮面」や「仮面をつけたダンサー」などの数々の絵を観察してから、夕方の穏やかな光の下でキャンプに戻った。そこで知らない男性が挨拶してから、大きい袋から色んなトゥアレグのアクセサリーを取り出しござの上に静かに並べた。 鍛冶屋さんがタッシリ台地までやってくるのは大変ね、と尋ねてみると実は彼がロバ使いで、暇な時間の間キャンプに泊まる観光客にアクセサリーを売ろうとしていた。賢いアイディアだが、お店など何もない台地の上に誰も現金を持ってこないことは大問題だ。
お茶を飲んでから、ハマニが高い岩の上までガイドしてくれた。我々の目の前に広がるセファールのがれきの岩ジャングル。台地のドラマティックな風景にどうして感動するのかしら。でも、トゥアレグはこんな不毛の土地を見ると恐れと尊敬を感じながら美しい風景だと思ったことがないかもしれない。彼らにとっては台地が誰も住んでいない寂しい霊地に過ぎないだろう。サハラの民にとっては、美しい砂漠というのは牧草地が溢れる緑の砂漠だ。
翌日の朝、セファール・メッラン、岩の根元を覆う白い砂の小さい砂丘「白いセファール」を訪れた。まず、岩の凹んだところに溜まったエメラルドブルーの水場に寄った。とても美しかった。
自然にできた「ゲルタ」という雨水の水場が砂漠ではよく見られる。しかし、エル・ハジはこれは違うと言った。
昔、サハラ砂漠に任命されたフランスの大佐がここに住んでいた遊牧民に「爆薬を使って水場を作ってください」と頼まれたらしい。大佐がどこを爆破すれば永続的な水場が得られるのか尋ねると遊牧民がこの場所を示した。そして、これまで雨が降る度にこの水場が満杯になり、動物がこの水を飲みに来るという。
白いセファールには円頭の人物の壁画があるが、その中でサイズとカリスマで特に目立つ「グラン・ディユ」が有名である。
その「偉大な大神」は、レイヨウ(アンティロップ)、牛と祈り人(オラント)の部分に囲まれて、神秘的な人物に描かれている。
しかし、頭のない人物も発見してびっくり…。

『円頭(紀元前6000〜4000年):濃い色素がねばねばしたままで付けられました。岩壁を染める物質が絵を描いた者たちにとってはただの物質ではなく、おそらく神秘的な意味があったと思われます。』

『魚のようなものを手に入れる人物は「漁業の大神」と呼ばれました。』
エル・ハジが、祈っている人物に囲まれて腰布を巻いた背の高い人物に集中した。そして、手を広く開いて「タメノカルト」と言った。タメノカルトはトゥアレグの女王で、神話では日本の天照大神のような位置づけである。1925年にアルジェリア南部のホガール山地に墳墓が発見された「ティン・ヒナン」女王がどこから来たのかまだ不明なせいで、この女王の神話がフランス人作家ピエール・ブノアによる「アトランティード」などの作品をインスピレーションした。エル・ハジにとっては、岩壁に描かれた女王はきっとティン・ヒナンと信じたのだろう。
迷路とアーチを次々と通って2時間後、ようやくタッシリ台地の名物である「グラン・ディユ」、日本では「白い巨人」と呼ばれる壁画に辿り着いた。広場を面する岩の壁に広がるひときわ大きな絵はいまだに神秘である。我々21世紀の現代人の目から見るとこの絵は謎だ。 高さ3メートルの大神の腹にクラゲのようなものが浮き、その横にレイヨウが漂っている赤ちゃんみたいな人物を面し、また大神の足元に手を合わせて祈る宇宙人が何人か見える…。
「この岩絵は明らかに生殖とその謎、また人生と豊穣を表現しています」とどこかで読んだことあったが、私には明らかではなくても、観光客のように大神の前でお祈りくらいしても良いと思った。自然のどんなものにも神が宿ると信じるアニミズムが、アフリカにも日本にも共通した世界的な信仰であることだけ分かっていたからだ。
『セファールの「グラン・ディユ」。長さ16メートル、30平方メートルの岩壁に広がるフレスコ画です。その壁に面した広場では、絵によって不滅となった儀式を実際に行っていたと思われます。グラン・ディユは高さ3メートルで、巨大な陰茎あるいは陰茎を隠すための布を着、頭に角が見えます。』
エル・ハジが好む牛の群れの絵を見た後、岩の上に登り、リビアのアカクス山地を遠く眺めた。今日の午前はそれで終わり。キャンプに戻り、昼ご飯を食べてから出発。今度はティン・タザリフトに向かう。
強い日差しの下で進みながら、右左に延びる岩の陰に入ると急に涼しくなり、気持ちのいい散歩をした。壁画をたっぷり堪能してみんな大満足。いまは風と共に足を伸ばし、周りの岩の響きを聴きながら静かに歩くだけだ。
2年前にティンタザリフトを一度訪れた私は見逃していた「泳ぐ人」の絵さえ見たかった・・暖かい砂の上に座って、岩に非現実的な人物の泳いでいる姿を眺める。頭が丸くて、アンテナのようなものが付いている。あるシャーマン的な仮説によれば、この絵の人物は水の中を泳いでいるのではなく、空間に浮かんでいる…。この仮説は「円頭の人物による幻覚のキノコ」というレポートを生み出したらしいが、残念ながらイタリア語しかない。
『浮かんでいるような大きい人物がトランス状態のシャーマンの旅を思い起こします。頭に仮面を被っているようです。片方の腕に半月のものが付き、もうひとつの手首にブレスレットを飾ったように見えます。』どちにしても、昔大きな川が流れていたのは間違いない。「泳ぐ人」の絵の後に、弓の形をしたピローグ(小船)に乗っている二人の射手を描いた絵があった。とても綺麗な絵だった。

夕方になって、インテゥアミの入り口を示す墓に辿り着いた。そこでエル・ハジは一瞬止まり、お祈りしてからまた静かに歩き出した。親戚がそこに眠っているのだろう。インテゥアミは豪華なところだ。岩の柱が空まで伸びて、その頂上が夕日の赤い光を吸い込んでいた。周りは人影なき真っ自然の砂漠だ。
夕暮れが来ると、皆が焚き火の周りに座って、暖かいスープとトゲラのパンの出来上がりを待つだけだ。マリアムと名づけられた日本人の女性がカイロをエル・ハジにあげた。誰も見たことのない体の温まるカイロに大関心。エル・ハジはそれを長くいじってから、背中に付けてもらった。とても気持ちよさそうだったが、使い捨てと言われるとがっかり!しかも、焚き火に捨て ると爆発するとなると、この紙はますます怪しいものと思われただろう。
翌日にティメンズゼンに移動した。暑い日差しの下で、影のない真っ黒の不毛地をゆっくりと進む。火星の上に歩いたらきっと同じ感じがする。

時々エル・ハジが地面に植えた植物を拾い、リュックに入れる。台地の植物は実はとても有名で、エル・ハジが一生懸命収集している植物「ティクミズーテン」は、100の病気に効くと信じられている。
途中で地面に彫られた像を過ぎた。こんなところで像を想像すると幻覚のようだ。
4時間後に、一本のイトスギが蜃気楼のように地平線に現れてきた。そこのタムリットの氾濫地でやっとひと休憩した。美味しいサラダをたっぷり食べ、影で居眠りをしてからまた出発する。
ロバ使いと一緒にイナララベンまで歩いた。旅はもうすぐ終わる。岩の森とアーチの景色と離れて、平たい台地を進むだけだ。 最後のキャンプの夜は、ほっとした気持ちと同時にとても懐かしい気持ちがどうしても浮かんでくる。もう帰る時間なのか…。
明日の同じ時間に、台地の麓にのびるジャネットのオアシスを想像する。オアシスの賑やかなカフェ、市場とトヨタの四駆の忙しい通り。 しかし、毎晩のように赤く染まるタッシリ台地はきっと我々の心に前よりも特別な輝きを与えてくれる。遠くから眺める夕日の景色だけではなく、あの岩森、セファールの偉大な大神たち、イトスギの香り、夕暮れのインディゴブルー、そして何よりもエル・ハジの歌声を生き生きと思い出してくるだろう。
文: Alissa Descotes-Toyosaki
写真: Kao Terada & Alissa Descotes-Toyosaki
引用 は http://ennedi.free.fr/の抄訳。
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