地図・一般情報


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ジャネットとは?
首都アルジェから2、300キロ、リビア国 境から100キロ離れたアルジェリア南東部に位置する。サハラ砂漠の中央部にあるタッシリ・ナジェール(面積8万キロの国立公園)の中にある細長いオアシスで、ヤシ園とアスファルト道路に沿った6地区に分かれ、周辺を含めて約15 000人が住んでいる。

一年のうち6月が一番暑く、年間を通して雨量は少なく乾燥した気候で、昼夜の寒暖の差が激しい。しかし、砂漠に中にも関わらず地下水は豊富で、農園にはたくさんの野菜等が育ち、タスメヤシの実は特産品となっている。ジャネットの中央には銀行、郵便局、病院、学校、市場、カフェや小さい商店が並び、住民のほとんどがトアレグ人だが、アラブ系の人々が商売を始めるために住み着くようになった。言葉はタマシェック語、アラブ語とフランス語が使われている。

 

サハラ砂漠に生きる人々、トゥアレグ
サハラ砂漠にまたがるニジェール、マリ、リビア及びアルジェリアの4カ国周辺で遊牧生活を送る民族である。ベルベール系に属するタマシェク語という言語を使い、ティフィナーという独特なアルファベットを用いる。また藍色の服を常用していたことでブルーメンと呼ばれることもあり、高貴で誇りの高い民族である。男性は主にラクダの飼育を行い、女性はキャンプの周辺において家畜を飼う。キャンプは季節と牧草地により移動する。

トゥアレグ人は穏やかなイスラム教を実践し、女性に自由を与えるという独特な文化で知られている。男性が複雑な社会や名誉に関する規制によって頭と顔をターバンで巻き、一方女性はヴェールで軽く頭を覆う。

 

ジャネットのトゥアレグ人…
壮大な景色と先史時代の洞窟壁画(ユネスコ世界遺産)を目当てに訪れる観光客が近年著しく増加し、10月から5月にかけての観光シーズンにはガイドや運転手の仕事をするようになった。ただし、そのシーズン以外は、失業率が高く、男性は職人が造るトゥアレグ独特の形や模様のアクセサリーをもってヨーロッパに出稼ぎに行ったり、また商品や乗客をトヨタ4WDに乗せてニジェール、リビアのサハラ砂漠などを横断するものが多い。

電気、水道、携帯電話などの近代的な生活が浸透してきてはいるものの、男性は今でも町と砂漠の間を頻繁に往復し、伝統的な衣装を用いているものが多いが、女性はTVの影響もあってかアラブ風の衣装を好む。独身の若い女性が仕事をするのは許されているが、結婚後はイスラム教のルールを守り家で過ごし、稀に市場や菜園に出かけることもあるが、通常は閉ざされた空間に生きている。しかし、結婚式の時は例外で、女性たちの出番となり、女性しか入れないお祭りの世界を創り出す。

アルジェリア (アル・ジャザイール)
アルジェリア民主人民共和国は、北アフリカに位置するアラブ諸国のひとつ。アフリカ大陸ではスーダンに次ぐ2番目に大きい国である。島を意味する「アル・ジャザーイル」と現地語で呼ばれるアルジェリアの首都はアルジェ。北は地中海に面し、東はチュニジア、リビアと、南東はニジェールと、南西はマリ、モーリタニアと、西はモロッコ、西サハラと接する。人口は~3300万人と推測され、90%は、北部の地中海沿岸地域に住んでいる。アルジェリアは48のウィラヤ(地方自治体)に分割され、各ウィラヤはその巨大な国の民族や地形の多様性など独自の文化で生活している。

 

言葉
公用語は文語のアラビア語だが、普段アルジェリア人は様々な方語とフランス語起源をもつ「ダルジャ」を話す。独立後に行った強硬なアラブ化によって、公用語であるベルベール語は2006年5月まで文部省に無視された。ベルベール語はアルジェリア人の30%に使われ、地域によってカビル語、シルー語やサハラのタマシェック語などのー様々なバリエーションがある。この大変古い言葉はティフィナーという独特の字を持ち、サハラの洞窟画の何箇所に描かれている。

 

国民

大部分のアルジェリア人はイスラム教で、ベルベール人である。 アラブ人は7世紀と9世紀にアルジェリアを侵略したが、人口分布上には少数派で、むしろ宗教や言葉上の影響が大きかった。ベルベール人の中は、オレス地域(バトナ市)にシャーウィ族、カビリ地域に(ティジ・ウズ市、ベジャイア市)カビル族、ムザーブ地域に(ガルダイヤ市)ムザービト族、サハラ砂漠には(タマンラセット市、ジャネット市)トゥアレグ族が居住する。

 

南アルジェリア
南部アルジェリアは、アルジェ地域周辺を襲ったテロの連続事件の影響は比較的受けなかったが、それは地理上の理由がある。確かに、南西に位置するホガール山地(タマンラセット市)及び南東に位置するアジェール大地(ジャネット市)の二つのトゥアレグのグループは北部の都市から2000キロ以上離れているからだ。南部の人口調査は遊牧民が多いことにより非常に難しいけれど、アルジェリアのトゥアレグ人は10万人前後と推測される。1970年代から南部の人口は大量に都市に(特にタマンラセット)集中したことによって社会・経済及びアイデンティティの危機をもたらしたが、トゥアレグ人は未来への解決法を積極的に模索している。

 

観光
アルジェリアのサハラ地域は1960年代の末から観光客が訪れるようになった。サハラ砂漠を誰よりも知っているトゥアレグ人はガイド、ラクダ使い、または4駆車の運転手として仕事を始めた。特にホガール山地で生活している複数のキャンプは、タマンラセットの旅行会社で仕事をしている男性たちの稼ぎのお陰で、1980年代の激しい干ばつにも関わらず、遊牧生活を続くことができた。観光活動の様々な束縛に適応して、トゥアレグ人はだんだんタマンラセット、ジャネットやエリジに定住するようになった。